少し唐突に聞こえるかもしれませんが、私たちの世界に落ちている情報を全て集めて分類すると、以下の4つに分類できます。

  1. 行政/義務教育/メディアなど、国家が国民に提供する情報
  2. 歴史/民族伝承/神話/遺跡など、遺物が観察者に提供する情報
  3. カルト/新興宗教など、教祖が信者に提供する情報
  4. その他、人の世界観形成にさほど寄与しない雑多な情報

自分の生活圏外の世界に関して知ろうとする場合、馬の骨(素性の知れない新顔)は別として、情報源として「行政」を信じるのか「歴史」を信じるのか、要はこの2択になってきます。

例えば、私たち日本人にとっての「日本の歴史」とは主に、江戸時代の学者たちが江戸時代以前の日本についてまとめた「国学」、そして日本各地に古くから伝承されている「民話」のことです。

しかし国学に関しては戦後、GHQと行政によって『現代的ではない』として義務教育から排除されておりますし、日本各地に伝わる民族伝承も行政によって『現実ではない』として義務教育から排除されております。

これはつまり、私たちは行政の言葉を「日本の事実だ」として信じることにして、国学や民族伝承を「日本の事実でない」として信じないことにした、ということです。

実際に、国学や民族伝承の分野では昔の日本には「鬼神や妖怪」がいて人々を苦しめていたことが記録されていますが、確かに今は、普段の私たちの生活圏内ではそのような恐ろしい様子を観察することはできません。

ゆえに私たちの多くは「自分たちの生活圏内に鬼神や妖怪はいない。行政も鬼はいないと言っている。だからこの世界に鬼などいない」と、このように生活圏内の観察からただ自動的に延長線を引いて、生活圏外の世界についても予測するわけです。

しかし、自分たちの生活圏内で鬼が観察できないからと言って、生活圏外にもいないだろうというのは早計ではないでしょうか。行政が否定するからという理由で、江戸時代の国学者たち、日本各地に残る民族伝承も否定することは果たして賢いことでしょうか。

もっとフェアに、例えば、現代人と古代人の言い分の間を取って『昔は鬼神や妖怪はいたけど、どこかのタイミングで地上からいなくなった』などといった可能性に検討の余地はありませんか。

いずれにせよ、論より証拠でしょう。

つまり鬼神や妖怪に関する「噂話」だけでなく、鬼神や妖怪が実際に残した「遺物」はないのでしょうか。