まえがき
長い人生の中には、たった数回しか訪れない人生が大きく変わる瞬間というものがあります。
あなたが宗教2世であれば恐らく、その1回目は「宗教と出会った瞬間」に違いありません。
親を通して、知人を通してなど、人によって「宗教」との出会い方は違うでしょうが、いずれにせよ宗教との出会いによってあなたの人生は良くも悪くも大きく変わったはずです。
あなたの人生が大きく変わった2回目の瞬間、それは恐らく「宗教に入信した瞬間」でしょう。
自ら望んで入信した方もいるでしょうし、親が勝手に入信して、それを子供であるあなたに押し付けたケースもあるでしょう。
宗教に入信すると、人生が大きく変わってしまいます。なぜなら宗教に入信すると以下3つの概念と定義が大きく変わってしまうからです。
- 世界の定義:
例) この世界は神が造ったので神に従うべき - 自分の定義:
例) 自分を造ったのも神なので神に従うべき - 将来の定義:
例) 神は邪悪な人を滅ぼすので神に従うべき
これはほんの1例ですが、どの宗教もこんな感じだと思います。
そして、あなたが親の宗教と決別した宗教2世であれば「宗教と決別した瞬間」、これが3回目に人生が大きく変わった瞬間でしょう。
前述の通り、宗教に入信すれば世界が、自分が、そして将来が大きく変化します。
しかし宗教との決別とは更なる上書き、つまり再び世界を、再び自分を、そして再び将来を定義し直すことを意味します。
- 世界の再定義:
例) やっぱりこの世界に神はいない。自分がやりたい事をやるべき - 自分の再定義:
例) やっぱり世界で一番大切なのは自分だ。自分がやりたい事をやるべき - 将来の再定義:
例) やっぱり人間はいつか死ぬ。自分がやりたい事をやるべき
上記3点の再定義はその人にとっては大変な作業です。文字通り天地がひっくり返ります。
これは人が体験しうる変化の中でも類を見ない内的な変化でしょうね。宗教とは縁がない一般人の想像をはるかに超えるものでしょう。
そして、
あなたの人生が大きく変わる4回目の瞬間。
私はそれが「今日この日」になればいいなと思っています。つまりあなたが私と、そして私のこの文章と出会った今日です。
私はそれぐらいの意気込みを持って、これから自分の思考を、そして文章をあなたのために綴っていこうと考えています。
ちなみに、
もしあなたが現在も宗教を実践している現役の宗教2世であっても今日は人生が大きく変わりうる日だと言えるでしょうね。
なぜなら、あなたがやっているのは結局「宗教」であり、私は宗教そのものの専門家だからです。言ってみれば私はあなたの宗教の「土台の部分」の専門家です。
ゆえに、私がこれからする宗教についての情報伝達によって、あなたはご自身の宗教の土台に対する深い理解を得ることになります。
ですから、私の文章は主に現役を退いた宗教2世のためのものですが、現役宗教2世のあなたにとっても私の話は実り豊かなものとなるでしょう。
どうぞ、自己の成長なり教団内での出世なりにお役立て下さい。
ちなみに本編で扱っている宗教2世問題よりも「宗教の仕組み」を手っ取り早く知りたい方、あるいは次章以降で扱う「宗教パワハラ」の被害が軽い方は 直接5章 へとお進み下さい。
知は力なり
これから私は、人の人生をも変えてしまう自分の特殊能力を披露しようとしているとか、そんな訳ではありません。
そうではなくて。知は力なりです。
つまり私が知っている情報、私が脳内に蓄積しているこの情報は間違いなく特別なので、それがあなたにとっても同様に有益なはずだと私は信じるのです。
だからこそ、その情報を共有できればと思って私はこの執筆の旅に出ることにしました。
というのは、
昨今の「宗教2世」にまつわる数々の社会問題と被害者の方々の苦悩の声ですが、私は同じ道を長く歩んできた者としてその声を無視することができませんでした。
宗教というのは人類のアヘンであり、良くも悪くも関わる人に大きな作用をもたらす諸刃の剣です。
宗教は上手くハマればその人に大空を飛ぶ大翼を与えますが、下手を打てば首根っこに痛々しく絡まる荊棘のロープです。
昨今のマスメディアやSNS上で発信されている被害者の方々の声を見聞きしていると、どうもその方々は前者ではなく後者、
つまり首根っこに絡まる痛々しい荊棘のせいで苦しんでいる感じでならないのです。
なにぶん、被害者に絡まる宗教の荊棘は複雑になりがちですから、それを解くためには確実かつ的確な手順が必要です。
これはちょうど糸が複雑に絡み合ってしまった玉を解くために、確実かつ的確な手順が必要なのと同じです。
そんな時に器用な人の「助け」があれば、とても助かるのではないでしょうか?
私がこの文章を書く目的、それは私がその助けを提供することです。
少なくとも、あなたが宗教2世なら私が書く文章は人生の参考くらいにはなるでしょう。
宗教を攻略する瞬間
さて、私は一体どのようにしてあなたに助けを提供すると言うのでしょうか。
どのようにして首根っこに絡みつく宗教の荊棘を解き、そして断ち切ると言うのでしょうか。
宗教の荊棘を解き、断ち切ってしまうためにあなたをお連れしたい目的地があります。
その目的地とは「宗教を攻略する瞬間」です。
この場所に到達すれば、あなたは自分の人生を更にもう一度だけ大きく変えることになるはずです。
宗教を完全に攻略すること。
これが今回、私との出会いによって再びあなたに起こして頂きたい人生の変化です。
- 宗教と出会った瞬間
- 宗教に入信した瞬間
- 宗教と決別した瞬間
- 宗教を攻略する瞬間 ← ここが目的地
宗教2世界隈ではよく、自分の宗教と決別した瞬間のことを「覚醒した」と表現します。
これは洗脳から目覚めて喜んでいる状態のことを指すようです。「覚醒して良かった!」と。
もちろん、重荷となるような宗教であれば、それと完全に決別できたことは本当に良かったとは思います。
でもたぶん、覚醒した後でさえも宗教の柵はまだ健在なのではないでしょうか?
その人は確かに教団の教えからは覚醒したのでしょうが、別に宗教を攻略した訳ではない。
宗教を攻略したわけではないので、覚醒した後でさえも宗教という迷宮をウロウロ彷徨ってその不愉快な謎に頭を抱えることになる。
親がまだ現役で宗教をやっている方なら尚更そうでしょう。
- 宗教と出会った瞬間
- 宗教に入信した瞬間
- 宗教と決別した瞬間 ← 覚醒はここ
- 宗教を攻略する瞬間
つまり教団から覚醒してもそれはまだまだ道の半ば、宗教による呪縛から自分を完全に解放するためにはあともう一歩が必要なのです。
覚醒された方にとって、この指摘はどこか身に覚えのある話ではないでしょうか?
そして今回、私との出会いをキッカケにあなたに到達して頂きたい境地がこれ、つまり宗教を完全攻略する瞬間なのです。
この境地に到達しさえすれば、あなたに絡みつく教団の荊棘は完全に解け、あなたは宗教の謎から完全に卒業できるでしょう。
覚醒したのにまだスッキリしない感覚、整理が終わったようで終わってない感覚、自分の何かが成仏されない感覚、こんな中途半端な感覚はすべて綺麗サッパリなくなるでしょう。
宗教を完全に攻略すること。
この境地にまで到達して初めて、私たちは宗教の柵から解放され、過去の呪いからも完全に自由になるのです。
この清々しい境地は「宗教を攻略した瞬間」であなたを待っています。
その目的地はここから遠くはありません。ですから私と共に行きましょう。私としばらくの間だけ旅をしましょう。
あなたが「宗教」を完全攻略するための、ちょっとした旅路へようこそ。