コラム. 日本社会の実態
大切なことなので、私たちが生活している「日本社会」と、そこで幅を利かせている世界観 (価値観) について解説しておきましょうか。
宗教パワハラ被害者の多くは、物心ついた時には既に世間から遠く隔離されており、日本社会について、そこで主流である価値観について十分にリサーチできてないかもしれません。
日本社会で主流である価値観については学校も詳しく教えませんし、当然ながらあなたの親も教えてくれなかったでしょう。主流なのに。
つまり、あなたが実態に気付いてない可能性が高い。
しかし、私たち宗教2世が教団を捨てた後に居住せざるを得ない場所が日本社会である以上、そこで幅を利かせている価値観、あるいは状況について知っておくことは大切です。
もし仮に、ある宗教2世が自分の存在価値を推し量る目安として日本社会で主流である価値観を新たに採用する場合は特にそうです。
なぜなら日本社会やその状況について誤解してしまうと、その宗教2世が採用する価値観も誤解を含む間違った物差しとなってしまい、
そんな間違った物差しで自分の存在価値を量ろうものなら、その人の自己イメージや肯定感情は誤解のあるもの、間違ったものになるからです。
注意して下さい。
自分の価値を正しく測りたいなら物差しの方にも正確さが必要です。
成功とはその人の経済力?
日本社会で幅を利かせている価値観、特に大きな存在感を放っているものは間違いなくこれでしょう。
つまりお金です。
確かに、お金が沢山あれば欲しいものだって沢山買えます。
チャンスも、高級車も、夢のマイホームも、異性との豪華なデートも、数々の刺激的な体験も、美しさも、ある程度の時間と若さも。
日本社会ではお金があれば、それと交換できる魅力的なものが沢山用意されてますのでお金持ちは有力者、成功者だと見なされがちです。
教団や宗教を捨てた宗教2世たちは普通、日本の一般大衆の中に住まいを構えますので当然ながら上記にあげた「成功とは経済力だ!」という価値観に強く晒されることとなります。
結果、多くの宗教2世は自分の存在価値を測る尺度として自分の経済力を採用しがちです。
『教団を抜けたから時間はたっぷりある!これで存分に働ける!よーしバリバリお金を稼いで成功者になるぞー!!』
こうして、この宗教2世は自分の脳内の世界観を点検することなしに、新しい旅路へとアクセルを力一杯に踏み込んでしまう訳です。
さて、彼は一体どうなるでしょうか?
遅かれ早かれ、お金持ちになるのが非常に難しいことに気づくでしょう。
『あれ、、日本社会で成功するって思ってたより難しいぞ、、』
では、彼は何を知っておくべきでしょうか。
彼がもともと形成していた日本社会、そして人生という概念のどこに誤解が、どこに間違いが含まれているのでしょうか?
人生(じんせい):
個人ではなく、世代を超えて一族で戦うチームスポーツ。
日本の法律では個人の資産に関して「相続」という非常に重要なルールが設定されてます。
先祖が所有していた土地やビジネスといった財産、つまり先代が溜め込んだ財産が残ると、それが後世にバトンタッチされるというお金のルールです。
このお金に関する決定的なルールがあるために、資本主義国における人生とは、
あなた独りで戦う個人競技ではなくて、あなたの一族 (先祖を含む) が総出で戦う団体競技となっております。
つまり、あなたの人生ゲームはあなたが誕生する遥か昔から始まっている。少なくとも江戸時代辺りから。
そしてあなたは、そしてあなたの両親はただ先代からバトン (経済力) を受け継ぐに過ぎない。
家柄がよい一族は何百年も昔から財を成し、代々その利権を守り、現代を生きる末裔メンバーにそのバトンをしっかりと繋いでいます。
会社の役員や政治家が分かりやすい例ですね。
役員や政治家であるからと言って、彼らは別に人として特別なわけではありません。彼らの中には魅力や能力に劣る人だっているでしょう。
しかし彼らの家柄は間違いなく特別です。
大抵の場合、政治家や企業の役員たちの一族は江戸時代から土地や利権を守ってきたとか、明治期からファミリービジネスを経営してきたとか、そんな特別な一族なのです。
そして日本に3%ほど存在している富裕層、あるいは0.1%未満の超富裕層の正体とはまさに彼らであり、彼らこそが先祖代々、特別な特権や利権に恵まれてきた強豪チームなのです。
そんな強豪チームが「チームで」既に圧勝しているこの日本の経済市場で、あなたは「個人で」戦いたいのですか?w
一般庶民はとかく経済力とは自力で築き上げるものだとお考えでしょうが、これは残念ながら持たざる者の発想です。
日本の支配層や上流層、つまり持つ者の発想から言えば経済力とは築き上げるものではなく先代から受け継ぐもの、一族で守るものです。
住む世界が違うとは、こう言うこと。
あなたの職場が他人の資産と関係しているならあなたは持たざる側、あなたの職場が自分の一族の資産と関係しているのなら、多分あなたは持つ側でしょう。
これは、昔 (産業革命の頃) からずっと変わらない資本主義社会の仕組みです。
しかしある人は尋ねるかもしれません。
テレビに登場するような「成功者たち」はどうなのか?と。
彼らは身一つで事業を起こし、株式を上場するまで頑張った真の成功者じゃないのか?と。私はそんな成功者になりたいんだ!と。
いや目指すことは自由ですよ。
どうぞご自由に。
しかしそもそも、メディアが大々的に取り上げる類の「成功」自体が、非常に希少で非常に珍しい成功だということにお気づきですか?
恐らくその成功は1万人に1人レベル、出現率は0.01%以下。だからこそメディアは「大ニュース!」として報じるわけです。
実際、メディアで報じられるような上場企業、世間が知ってる超エリート企業は日本に五万とある企業群の中の0.1%程度に過ぎません。
そんな狭き門で上場を成功させる0.1%の成金よりも、残り99.9%の非上場企業のオーナー (その多くが昔ながらの資産家たち) に注目する方が現実的ではありませんか?
残念なことに、五万といる昔ながらの金持ちたちのことをメディアは滅多に報じません。なぜなら彼らは別に珍しくないからです。割といっぱいいます。
証拠ですか?
家の外に出てみて下さい。
高いビルやマンションが沢山見えるでしょう。あなたの目に映るビルや建物 (とその土地) は全てそんな沢山いる金持ちたちの資産なのです。
しかしメディアが報道しないために彼らは目立たない。そして庶民も気づかない。
だから庶民は五万といる99.9%の「金持ち」の方ではなく、メディアがよく報道する極めて珍しい0.1%の「成功」を目指そうとする。そして当然ながら挫折する。
これがまぁ、日本社会でよく見られる経済格差のワンシーンでしょう。
メディアの報道は日本社会の一角であって決して全体ではない。ここを勘違いしていると雑で間違った世界観を形成しがちです。
人生とは個人戦ではなく一族で戦う団体戦、経済的成功とは単身で築き上げるものではなく相続して守るもの。
これが、日本社会の主たる本流です。
私たちの日本経済は主に、そんな昔からいる資本家たちが支え、そして回しているのです。
以上が日本経済についての、そして日本社会についての実態です。ご存じでしたか?
笑顔。価値基準として妥当
なにぶん、
自分の価値を測るために選択する物差し次第で、あなたの自尊心は大きく満たされたり、あるいは深く傷ついたり致します。
先述のように、自分の中で誤解を含んだ世界観を形成したり、安直な価値基準を採用してしまうと、あなたが自分に対して行う自己評価だってフェアじゃなくなる。
日本社会における経済活動とは団体戦なのに、それを個人戦だと勘違いしてしまい「稼げない自分は負け組だ。トホホ」といった具合に。
ゆえに、自分の価値を測る物差しは慎重に選択すべきでしょう。
先ほども考えたように、自分の価値を測る上で経済力はあまり妥当な物差しとは言えません。
この場合に明暗を分けるのは、どれほどリッチな一族の元に生まれるかという運だからです。そもそもがフェアじゃない。
世間ではこれを「親ガチャ」と言うそうですが、私だってこんな博打を人の本質的な価値を測る物差しとしてオススメはできません。
では何が妥当か?
私はやはり笑顔が人生の価値基準として妥当だと思います。
笑顔でいっぱいの人はきっと幸せな人でしょうね。お金持ちであっても貧しかったとしても。
笑顔は普遍的なので、富める者に対しても貧しき者に対してもある程度は平等にそのチャンスが差し伸べられています。
だから、
- あなたがたくさん笑顔になれること
- あなたがずっと笑顔でいられること
これらがきっと人に関する、あるいは人生に対する間違いがなくて堅実な価値基準なのだと思います。
お金は生活に困らないほどでいい。
でも笑顔は沢山あった方がいい。
だから私が自信を持ってあなたにオススメできる成功の尺度は 笑顔 です。:)