1. 宗教2世問題とは宗教パワハラ問題である

開口一番にお伝えしたいこと、それは、

宗教2世問題とはつまり、親から子に対する特殊な児童虐待の問題、親から子に対する宗教パワハラの問題であるという点です。

児童虐待については、すぐに鮮明で暴力的なイメージが頭に浮かぶでしょう。例えば、親の暴力に怯える可哀想な子供のイメージです。

その一方でパワハラについては曖昧な方が多いのではないでしょうか。

ですから、まずパワハラの定義を確認します。

パワハラパワーハラスメント
権力による迷惑行為。企業や家庭など組織内での地位や人間関係の優位性を利用して、自分よりも立場の低い相手に対して相手の気持ちを無視した迷惑行為を行うこと。

この定義を読んでいるとハッとしませんか?

そうです。パワハラは日本社会のいたるところに、まさに空気のように身近な存在なのです。

  • 職場:上司が部下に対して、先輩が後輩に対して行うパワハラ
  • 学校:先生が生徒に対して、1軍生徒が3軍生徒に対して行うパワハラ
  • 家庭:夫が妻に対して、親が子供に対して行うパワハラ

別に宗教とは関係なく、パワハラとは一般家庭でも割と頻繁に見られるものでしょう。

職場内でのセクハラやパワハラ、そしてモラハラなんかも最近騒がれている社会問題です。

しかし宗教2世界隈で騒がれているパワハラは少し特殊です。

つまり、パワハラとセットで、あるいはそのパワハラの起点に宗教があるのです。

宗教2世問題における親が子に対して行うパワハラとは宗教を利用したパワハラ、つまり宗教パワハラなのです。

宗教は人生を吹っ飛ばす

カール・マルクス (1818-1883)

ドイツの哲学者カール・マルクスが自著『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で指摘したように、宗教とは「民衆のアヘン」です。

アヘンとはケシの果汁を乾燥させた麻薬で、医療シーンで利用されるモルヒネや麻薬の王様ヘロインの抽出源です。

ヘロインはモルヒネから、そしてモルヒネはアヘンから生成されます。

アヘンは正真正銘の麻薬なので人の脳みそと人間性をいとも簡単に破壊します。日本でもアヘンはその危険性ゆえに特別に「あへん法」で厳しく規制されています。

そんな危険薬物アヘンは、昔には東西を巻き込む大戦争を引き起こし、現代でも世界規模の巨大マーケットで活躍する現役の稼ぎ頭です。

つまりアヘンは過去から現在に至るまで無数の大人と子供たちの人間性を、尊厳を、そして人生を文字通り破壊してきた世紀のモンスターなのです。

そんな世紀のモンスター・アヘンと同一視される宗教が、単なる一般家庭に入り込み、単なる専業主婦の手へと渡ってしまう。そして子育てに利用されてしまう。

アヘンが数々の民族と彼らの人生を吹っ飛ばしてきたのと同様に、宗教も数々の民族と彼らの人生を吹っ飛ばしてきました。これが古今東西、変わらない人類の歴史なのです。

であれば日本においても、そこら辺の家庭1つ、あるいは人生1っこくらい簡単に吹き飛ばして当然ではないでしょうか?

さらに注目すべき点があります。

マルクスは宗教は民衆のアヘンであると言っています。国王たちのではなく、政治家たちのでもなく、民衆のです。

つまり宗教は、私たち一般人にとってあり得ないほど身近な存在だと。

宗教の身近さ、しかしその身近さからは考えられないレベルの破壊力。これは薬物と同様で、とんでもない非対称性を成しています。

宗教はそれとなく私たち民衆のもとへと入り込み、まずは専業主婦の脳みそを、次に温かい家庭を、ついには子供たちの人生を次々に吹き飛ばしかねない代物なのです。

宗教2世界隈とは、そんな「アヘン」によって自分の貴重な人生や暖かい家庭を吹っ飛ばされた人たちの溜まり場なのです。

家庭によって被害に大小がある

宗教2世界隈を観察するにあたって、

真っ先に気付くべき事柄、それは宗教パワハラも一般的なパワハラと同様に家庭によってその被害に大小があるという事実です。

宗教2世界隈の討論や話し合いを見聞きしていると、どうもこの辺りを一括りに考えている方々が多く見受けられます。

「同じ宗教2世だ!」という目立つ共通点にばかり気を取られていると、まるでみんなが同レベルの体験、同レベルの苦労、同レベルの熱量を持ち合わせているものと錯覚してしまう気持ちも分かります。

しかし、これでは物事を単純化しすぎです。

同じ宗教2世の家庭でも、その宗教パワハラの種類や度合いは実に様々なのです。

例えば、

同じ宗教2世の家庭でも、Aさんが親から受けた宗教パワハラの程度は酷かったかもしれませんが、Bさんが親から受けた宗教パワハラの程度は軽かったかも知れません。

受けた宗教パワハラが酷ければ酷いほど、Aさんが語る体験談の内容は辛くて重いもの、その口調はとても感情的で苦々しいものとなるでしょう。

一方で、受けた宗教パワハラが割と軽かったBさんが語る体験談はサッパリとしたもの、ひょっとしたら、Bさんはそもそも「何とも思ってない」かもしれません。

本当に家庭によって、人によって様々なのです。

このように宗教2世問題といっても、それは一般的なパワハラ、一般的な児童虐待とまったく同じで家庭によってかなりのバラツキがあります。

この点をしっかり意識していないと、やれこの宗教2世は「ネガティブに考えすぎだ」とか、やれあの宗教2世は「切り替えが早い」とか、目の前の被害者を安易に分類しかねない。

家庭内で長らく酷い性的虐待を受けてきた女性に対して「あなたは人生をネガティブに考えすぎだ」とか、あるいは「もっと前向きに生きていこうよ」などと言えたものでしょうか?

「ほら、同じ境遇のあの子はもう切り替えてるよ?」と。

つまり、その方が受けた宗教パワハラは「人生をネガティブに考えざるを得ない」ほど重く酷かったのかもしれませんし、

別の方が受けた宗教パワハラは「すぐに切り替えられる」ほど軽かったのかもしれないのです。

児童虐待にも程度の差があるのと同様、宗教虐待にもその家庭によって程度の差があります。問題を単純化しないように気を付けたいですね。

しかしながら宗教2世界隈に限って言えば、通常だったら決して見過ごされないような「程度に差がある」という簡単な事実さえも、いとも簡単に見落とされがちです。

宗教というあまりにも異質なモンスターが幅を利かせている界隈では、あらゆる常識が消失し、あらゆる正常な判断がいとも簡単に曇りがちなのでしょう。

それだけ「宗教」とは難解なのです。

ゆえに、宗教や哲学に関する経験値が異なる「宗教2世たち」が熱く語り合う界隈、自分の親に対する熱量が異なる「宗教2世たち」が跋扈ばっこする界隈。

これが宗教2世界隈の内情です。

問題を切り分けて考える

さて「宗教2世界隈って何だかとんでもない場所なんだな、、」とお感じになられたでしょうか?

次章から、そんな「とんでもない場所」の正体をより具体的に見ていきます。

そのために、まずは問題を切り分けます。複雑な問題を切り分けて考えること、これは難解な問題を解決するための基本だからです。

ですから、まずは宗教2世問題を2つの主要因に切り分けます。

  1. パワハラの問題
  2. 宗教の問題

ということで、

次章からしばらくの間「宗教」には舞台袖へと引っ込んでおいてもらいましょうか。

そして宗教を抜きにした「パワハラの問題」に私たちのスポットライトを浴びせ、その知られざる実態を白日の元に晒しましょう。

これは子育ての話にも及びます。

そうです。宗教2世問題を完全に理解するためには「親子関係」そして「子育て」の分野にまで足を踏み入れる必要があるわけです。

そりゃそうでしょう。

宗教2世問題とはつまり「2世=親子間」の問題なのですから。

↑